ジェンダー・トラブル、菅野文『オトメン(乙男)』
![]() |
オトメン(乙男) 6 (6) (花とゆめCOMICS) 菅野 文 白泉社 2008-08-19by G-Tools |
◇「望むがままに読んでほしい。望むがままに解釈してほしい! そして数分の間私の母のために涙することで、私の眼のなかでしばし死せるこの母、だがあなたの眼のなかで私を生かすために数年の間涙しつづけてきたこの母のために涙することで私が冒したことを、誰かがわかってくれさえするなら……」(アウグスティヌス『告白』9, 12, 33)
◆剣道部主将にして「男のなかの男」正宗飛鳥、眉目秀麗にして「男の憧れの的」都塚りょう、無類の女好きの橘充太、この三人を軸に展開される正統派学園恋愛ロマンス……というカバー装幀を一見したときの第一印象を軽やかに打ち砕くのがこの作品。トランス・ジェンダーの物語でもクロス・ドレッシングの物語でもなく、性同一性障害の物語でも同性愛の物語でもなく、料理と裁縫とかわいい雑貨が大好きな正宗飛鳥とあらゆる格闘技を操る都塚りょうが繰り広げる、いわゆる異性愛的恋愛譚であることにかわりはないが、しかし「ジェンダー・トラブル」とでも言うべきものが作品中で展開される。
◆「女」になりたいと言い残して逃亡した父に置き去りにされた母のために男に同一化しようとする正宗飛鳥が、柔道有段者にして剣道部主将を務めあげようとする行為は、きわめて紋切型の「男」の外形をなぞったパロディにすぎない。さらに彼のなかで執拗に繰り返される偽装としての「男」に対する真実としての「女」の側面もまた、裁縫と料理とかわいい雑貨を愛でるというクリシェとしての女性像のパロディでしかない。このような「男」と「女」の境界線上でのせめぎあいは、少女漫画作家としての秘密を抱える橘充太の作品ソースに利用されるなどして作品のなかで主軸に据えられ、凝った昼食やあみぐるみなどのディテールで読む者を楽しませてくれる。
◆ただし、この「男」と「女」のパロディとしてのパフォーマンスは、かえって模倣しているはずのオリジナルがそのようなパフォーマンスを無限に反復することでしか成立しない非自然的で人為的なものであることを明かしているという、ジェンダーへの新たな視点を図らずも提供していることも見逃せない。「ジェンダー化された永続的な自己とは、アイデンティティの実体的な基盤の理想に近づくように、反復行為によって構造化されたものであることが判明するが、他方でその反復行為は、ときおり起こる不整合のために、この「基盤」が暫定的で偶発的な〈無−基盤〉であることも明らかにする」(ジュディス・バトラー(竹村和子訳)『ジェンダー・トラブル』青土社[1999])。その意味では、正宗飛鳥という「男」を演じる「女」の実体をもつ「男」と、都塚りょうという「女」を演じる「男」の実体をもつ「女」との、新しいジェンダー配合のカップリングという作品が意図していると思しきテーマ設定は、文化的意味であれ生物学的意味であれ性差というものがすべて起源を欠いたパロディによる構成体でしかない以上、まったく問題がないわけではない。
◆それに代わってもうひとつ、この作品は、登場人物がいずれもある秘密を伝えようとする告白(カミング・アウト)の物語でもある。正宗飛鳥と都塚りょうは性差にまつわる秘密(ただし、これについては作品の冒頭部分で早々と告白される)、橘充太は少女漫画作家としての秘密、正宗のライバルである多武峰一はメイク趣味の秘密、正宗のクラスメートである黒川樹虎はフラワーアレンジメント趣味の秘密と、おもに男性登場人物がクリシェとしての「男」のカテゴリーから逸脱する倒錯的趣味を抱えてその秘密を告白する情景が随所に配置される。通常ならば性同一性障害ないしトランス・セクシュアリズムにおいて適用されるカミング・アウトが、友人たちの前での告白として翻案されるところに、この作品のソフトBL的な魅力が育まれる(ただし、性差の攪乱をテーマとするこの作品のなかで異性愛体制が遵守されつづけるところに、やはり幾分の留保がなくはない)。
◆作者自身が単行本欄外で「自分の趣味ではない」と断言したことがにわかに信じがたいほどの完成度をもって展開される「乙女チック男子のラブコメディ」は、まずは随所に散りばめられた乙女系ディテールで、さらに登場する男が次々に乙女に変貌していく変身譚で、この作品は読者を飽きさせることがないのも事実。最新刊の第6巻ではハードなビジュアル系ボーカルがガールズ系ポップスを愛する思いとの間で思い悩むところに正宗飛鳥が巻き込まれる場面で終結を迎えるが、今やこの作品の固有語法となった表現方法をもって、今後も「乙女チック男子のラブコメディ」を押し進めていくだけの躍動感と潜勢力をこの作品は備えている。





Yahoo!ブックマークに登録




























